ダストボックス
ゴミ箱があった。
ゴミ箱が僕の部屋にあるというその事実が、とんでもなく許しがたく、また屈辱的に思えた。
思えたのだから、僕はゴミ箱をこの部屋から無くてしまおうと考えた。考えたのはいいのだが、やはりゴミ箱が無ければとても困るという結論に達した。
この間僅か二十分である。あまりに高速で脳みそをフル回転してしまったせいで、少し疲れてしまった。
そこで僕は考える。ゴミ箱が無くても、困らない環境を作ればいいのではないか、と。
そのために、僕はゴミ箱の役割について改めて見直す事とする。
ゴミ箱の役割、それはすなわち、「ゴミを一時的に保管する場所」なのである。
確かに、ゴミ箱が無ければ、この部屋中にゴミが散乱し、僕はゴミと共に生活する事となるだろう。
それこそ、ゴミ箱が部屋にあるという件よりもさらに恥辱的であるのは明確だ。
ゴミと共に暮らすなど、到底人間のするべき生活とは思えない。
ならばどうする? そう、そもそもの元凶はゴミにあるのではないだろうか。
ゴミがあるから、ゴミ箱が必要となるのだ。ならば、ゴミが無ければ、ゴミ箱もその意味を失い、この部屋から消滅しても問題にならなくなるんじゃないか。
そうだ。ゴミを無くせばいい。僕は約五十分の思考で、この結論まで辿り着いた。これは、数学者もびっくりな数値である。すなわち、僕が天才であるという事の証明。
さて、まずゴミを無くすという事から考えよう。人が住む空間で、ゴミを出さないという事はそもそも可能なのか?
ゴミを出さない、という目標を達成すべく、まず僕はゴミを調べる事にした。
今現在ゴミ箱に入っているゴミを確認し、それらを金輪際出さないようにすれば、ノーガベッジライフが実現するであろう。
さて、まずゴミ箱に入っているもので、一番目立つのがティッシュだ。これは、鼻水などの生理現象に対処するために必要な代物だ。
これを無くす事は、想像以上に難しい。鼻水はどんなに注意したって、いつか出てきてしまうものだ。
ティッシュの使えない生活など、花粉症が酷い春や病気が流行る冬を、どう乗り越えればいいと言うのだろう。
そこで僕は思考の転換をする事にした。
そう、ティッシュの代替品を探せばいいのだ。ティッシュのような消耗品ではない、何かを。
それについて僕は、一時間という電撃的時間を以て思い浮かぶ事に成功した。
その物品とは、ハンカチである。
よく、欧米の人間がハンカチで鼻を啜るのを映画などで見かけないだろうか。つまりそれだ。
消耗品の使用を抑えるばかりか、欧米人の真似事まで出来てしまう、まさに一石二鳥というものだ。
こうして、ゴミ箱の約五割を占めるティッシュを撲滅する事に成功した。これは最早、天才といって差し支えない。
さて、次に気になるのが、菓子類の袋である。
これに関しては、ぐうの音も出ない。代替品など無い代物である。
どうすればいい? 菓子類を我慢するか? しかし、僕は菓子が主食なのだ。こればっかりは、無くすわけにはいかない……。
そこで僕は思いついた。そう、菓子を永遠に食い終わらなければいいのでは、と。
そう、菓子の袋がゴミとなる所以は、菓子が完全に無くなるからである。
なので、一つでも菓子が入っている袋は、ゴミとはいえない。例えばポテトチップスが一枚残っている菓子袋を、君たちは捨てるだろうか? いいや、捨てないだろう。
永遠に、菓子を食い終わらなければいいのだ。菓子・FOREVER。
さて、さらにゴミ箱内を物色する。傍から見れば、凄まじく気持ちの悪い光景なのだろうが、生憎僕の部屋を覗く者など誰一人――それこそ家族でさえ――いないので、問題ない。
次に目についたのが、髪の毛や埃だ。
これに関しても、出さない事は不可能に近い。双方共に、自然発生するものである。
しかし、だ。よく考えれば、これらは定期的に掃除機を掛ければそれだけで済むものなのである。ゴミ箱に入れるまでもない。
流石に菓子の袋などは掃除機には吸わせられないが、髪の毛や埃程度なら、むしろこいつに任せるべきだ。
掃除機は、部屋を出てすぐのところに置いてあるし、距離的にも苦じゃない。完璧だ。
さて、ゴミ箱の中身もいよいよ少なくなってきた。
あとは……紙類か。雑誌や、広告、その他諸々。これらについて言えば、別にゴミ箱に置かなくても、そこら辺に積んで置いたって問題あるまい。
何せ、他のものとは違い、生理的悪寒を感じないのだから。ただの雑誌の束。そう考えれば、無理にゴミ箱に突っ込む必要性もなし。
これでゴミ箱の中身を一掃する事に成功したわけだが、いやはや困った。ゴミ箱をどこに捨てればいいと言うのだろう。
そう、ゴミ箱もまた、「ゴミ」となってしまったのだ。これでは本末転倒ではないか。
これぞまさに、ミイラ取りがミイラならぬ、ゴミ箱がゴミである。
何て冗談を言っている場合ではない。
一刻も早く、このゴミを片付けなければ、気が休むどころではないじゃないか。
僕はポリエステル製のゴミ箱をむんずと掴むと、そそくさと部屋を出た。
僕の部屋は屋内の中でも、一番玄関に遠い東南に位置している。
なので、外にゴミ箱を捨てにいこうにも、リビングの前を通らなくてはならなくなるのだ。
僕は思わず顔を顰めた。家族とは、なるべく接触したくなかった。
忍び足で玄関へと伸びる廊下を抜けて行くと、偶然帰宅してきた妹と出くわしてしまった。
「ちょっとぉ、ゴミ兄貴は部屋から出ないでよ。マジであり得ないんですケド」
ゴミ。それは比喩でもなんでもなかった。
「いい歳して、働きもしないで引き篭もってばかり。恥ずかしいからゴミ箱に引っ込んでてよ、ゴミ」
吐き捨てるような言葉に返す言葉も見当たらず、僕は黙って俯いて、そして回れ右をしてゴミ箱へと還っていった。
おしまえんど。