氷菓 What kind of flavor would you like?
※この作品は米澤穂信先生原作『古典部シリーズ』の二次創作です。

登場人物
折木奉太郎(おれきほうたろう) ―― 省エネ主義。成り行きで探偵役となる。
千反田える(ちたんだえる) ―― 古典部部長。名家の一人娘。記憶力に優れる。
福部里志(ふくべさとし) ―― 自称データベース。摩耶花と付き合っている。
伊原摩耶花(いばらまやか) ―― 他人に厳しく、自分にもっと厳しい。

   1

 建物に仕掛けられた時限爆弾。それを解除するには、色の違う二本のコードのうちどちらかを切らなければならない……。ドラマや映画のクライマックス・シーンでよく見られる光景だ。
 あり得ない仮定だが、もしそういう場面に直面した時、俺は一体どの色を切ればいいのだろう。あるいは、どの色を残せばいいのだろうか。
 俺は以前、それについて友人の福部里志に訊いてみたことがある。彼は『データベース』を自称する趣味人で、無駄な知識――もとい雑学の量に関しては一定の信頼が置けるのだ。
 すると里志は大袈裟にかぶりを振った。
「分かってないね、ホータローは。どの色を切るか残すか、それをあらかじめ決めておいてしまおうだなんて無粋もいいところだよ。ま、省エネ主義のホータローらしいと言えばらしいけど。そういうのはね、往々にして状況が正解へと導いてくれるのさ。例えば恋人と買ったアクセサリーの色だとか、その日のラッキーカラーとか、犯人の何気ない一言とか」
 期待とは裏腹に至極尤もなことを言う里志に俺は、まあそのとおりだがと言って鼻を鳴らす。されば里志とて俺の言いたいことは分かっているのだろう。やつは軽く笑って言った。
「それにね、ホータロー。僕に知識を求めるのならともかく、答えを求めるのは良くないな。だって第一、データベースは結論を出せないのだから」
 そう言われてようやく俺は、「そういえばそうだったな、それが福部里志のモットーだった」とこの質問の無意味さを悟ったのだった。


「クソッ、役に立たんやつめ……」
 一連の会話にこの状況を打開する鍵を求めて記憶を再生したのだが、案の定というか何の役にも立ちそうになかった。
 別に里志が悪いわけではないことは分かっている。分かってはいるが、果たしてこの状況で毒づかずにいられるだろうか。
 狭い物置の中で俺は、一心に目の前のものを見つめていた。目に映るのは、一見するとただの圧力鍋だ。信じられるだろうか。これがまさか、時限爆弾であるということが。
 溜め息を吐くと同時に、物置を薄く照らす白熱灯が数度点滅する。同時に俺の脳もショートしてしまいそうだが、いましばらくは働いていて貰わないと困るのだ。
 目の前の『時限爆弾』からこれ見よがしにはみ出る、赤、青、黄、緑、深緑色をした五本のコード。コードは全て外付けのキッチンタイマーまで伸びていた。キッチンタイマーのデジタル表記は八分三十秒を映している。
 鍋は作業台にボルトか何かで固定されているのか持ち上げることもできず、誤爆を引き起こす可能性があるため蓋も無理に開けないほうがいいと釘を刺されている。
 傍らには手のひらサイズの紙切れ。この圧力鍋が爆弾であること、一定時間内にアタリのコードを四本切らなければ爆発すること、ハズレの一本を切った瞬間に起爆へ繋がる旨が走り書きで記されていた。二択どころではない。この五本のコードの中から、たった一本だけ残すコードを選ばなければならない。
 俺は傍らに置いておいたステンレス製のキッチンバサミを手に取って、再び大きく息を吐いた。キッチンタイマーが示す時間は八分にまで減っている。残り八分で結論を出さなければならない。
 俺は前髪の毛先をくるくると弄りながら考える。里志が言ったことを信じるならば、必ず今日の出来事の中にヒントはあるはずなのだ。
 そして、目を瞑る。まずは、状況の整理をしなければならない。
 思い出せ。今に至る経緯を。

   2

 事の発端は、昨日の昼過ぎに掛かってきた一本の電話だった。
 両親は仕事に出掛け、姉貴も長期の国外旅行に赴いていたため、その時家に残っていたのは俺だけだった。寝間着姿のままリビングでくつろいでいた俺は、寝癖だらけの髪に構いながら、渋々受話器を手に取った。
「……もしもし」
「もしもし、折木さんですか」
 電話口から聞こえた声は、俺が高校で所属している古典部の部長、千反田えるのものだった。
「はあ、確かに俺は折木ですが」
 付け加えて言うなら、家族全員が折木だ。
「折木さん、わたしです。千反田です」
「だろうな」
 夏休みが始まって早二週間経つが、二週間程度会わなかった程度で部長の声を忘れるほど俺は薄情ではないぞ。断じて。
「折木さん。明日は何か、ご予定はありますか?」
 なんともはや、デジャヴである。昨年は幾度かこのような流れで呼び出しを食らい、その都度事件に巻き込まれたものだ。しかしそういえば、神山高校二年生に進級してから電話で呼び出されるのは今回が初めてか。
 予定の有無を問われて反射的にカレンダーに目を向けてしまったのにも既視感があった。勿論、幾らカレンダーと睨めっこをしようと予定など一つも埋まっていない。「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」をモットーとする省エネ主義者の俺にとって、夏休みとはそういうものなのだ。
「まあ、別段何かあるというわけでもないが」
「それなら折木さん。明日かき氷を売りませんか」
 俺は溜め息を漏らした。どうやら千反田の頼み事をする際の説明省略癖も健在らしい。
「……まったく話が見えないんだが」
 すると間髪入れず受話器の向こうで、ええとですね、と千反田が言う。どうやら前回までの反省を活かし、予めある程度話を整理してきていたらしい。それなら最初から分かるように説明しろと言いたい。
「摩耶花さんのお知り合いの方が、明日の下町祭でかき氷屋を商うそうなのですが、お昼過ぎから夕方まで、用があって店を留守にしなければならないそうなんです。その穴埋めのバイトを一緒にしませんか、とのことです。バイトですので、謝礼も出るそうですよ」
 俺は暫し慮った。伊原と千反田が参加するということは、当然里志も参加するのだろう。となれば、四人しかいない古典部の面々の中で、俺だけ参加しないというのも気疎い話だ。それにバイト代が出るというのなら、参加するのもやぶさかでない。どうせ面倒な仕事は伊原か千反田がこなしてくれるだろう。それより気になるのは。
「なんだ、伊原の発案か。ならどうしてお前が俺に電話をする」
「『ちーちゃんから電話したほうがあいつも来るから』と仰っていましたが……。折木さん、もしかして摩耶花さんと喧嘩でもしましたか?」
 まさか。伊原と喧嘩など、想像するだけで空恐ろしくなる。そもそもこの二週間会ってすらいないというのにどう喧嘩をしろと言うのか。伊原が過去の何らかのエピソードを今になって掘り当てて、勝手に憤りを覚えることもあるかも知れないが、それは喧嘩とは呼ばないだろう。
 どちらかと言えば、千反田が俺の飼い主であるかのようなニュアンスを込めて言ったに違いない。伊原が俺に対して皮肉的な態度をとるのは、言わば挨拶代わりのようなものなのだ。
「……いや、まあいい。詳しい予定を教えてくれ」
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