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 翌日。
 俺は自転車で神山市を横切って下町の商店街を目指していた。夏真っ盛りの、どうにも日差しが眩しい日だった。なるほど、こういう日にはかき氷のような氷菓を食べたくなるというものだ。売り上げもだいぶ期待できるだろう。果たして売上の何割が俺たちの配当になるのかは知らないが、ある程度は期待してもいいかもしれない。
 集合時間は正午だ。当然だが賄い料理は出ないとの御達しだったので、昼食はあらかじめ家で済ませておいた。お手製のそうめんなのであまり腹は膨れなかったが、まさか重労働をするわけでもなし、問題はないだろう。
 さて、時間に余裕を持って家を出たはずだったが、如何せんあまり来ない土地な上にこの辺りは道も入り組んでいるため、随分余計に時間を使ってしまった。
 約束の時間寸前になり、文字通りの紆余曲折を経て、ようやく俺は商店街へと辿り着いた。既に祭りの開始時刻を過ぎているはずなのだが、人は疎らで思ったほど混雑していなかった。まあ、メインは夜なのだろう。
 道行く人を避けながら徐行運転をしていると、喫茶店のような建物の前に見知った顔を見つけた。
「折木。こっち」
 釣り目でこちらを睨んでいるのが伊原摩耶花。いや、睨んでいるのではなく、目つきが鋭いだけだ。あるいは日差しの強さのあまり目を細めているか。そう思いたい。
 俺は伊原の前で自転車から降りる。店の左手にはガレージがあって、どうやら皆はそこに自転車を止めているらしい。俺もそれに倣う。車や日用品やらが置いてあるところを見るに、どうやらこの建物は店と住居を兼ねているらしい。
 自転車を止めてから店の入口まで行くと、早速伊原の尖った声が飛んできた。
「まったく、遅いわよ折木。まあギリギリ間に合っているからいいけど」
 間に合っているのなら遅いとは言わないと思うのだが……。そう思ったが、口には出さない。言い返そうものなら、反論が十倍になって返ってくる。その昔、インドへ出兵した旧日本軍が英軍陣地に砲撃を加えると、その都度十倍の砲弾を撃ち返されたという。それと同じようなものだ。触らぬ神に祟りなし。
 伊原とは小学校入学から中学校卒業までの九年間、同じクラスに所属していたという腐れ縁だが、その九年間で言葉を交えた回数は指折りで数えられる程度でしかなかった。神山高校に入学してからようやくクラスが別れたが、今度は同じ古典部の部員という縁ができ、そのよしみでそれなりに会話も交えるようになった。
 伊原は他人に厳しく、またそれ以上に自分に厳しくをモットーにしているようで、かなりアクの強い性格だ。ことさら俺に対してやたら毒を吐いてくる節がある。想い人の里志(いや、今は恋人同士か)や、友人の千反田に対してはブレーキが効くのに、俺にはそれがないのだ。
 活発な伊原からすれば、省エネ主義の俺は怠惰が服を着て歩いているように映るのかもしれない。いや勿論、俺もやるべきことはきっちりこなすのだが、そういう誹りを受けても仕方がないとは思っている。
「やあ、時間ぴったりにご到着とはさすがだね。ホータロー」
 そして伊原の隣に立つ青瓢箪が福部里志だ。中学から交友の続く旧友。多彩な趣味を持つアウトドア派の人間で、俺は『似非粋人』だの『趣味人』だのと呼んでいるが、本人曰く『データベース』らしい。まあ、里志の知識量を考えればその表現も決して間違ってはいないだろう。
「おはようございます、折木さん」
 そして古典部を語る上で欠かせない存在が彼女、千反田える。神山市の旧家名家として数えられる豪農千反田家の一人娘のお嬢様で、それに相応しく背まで伸びる優雅な黒髪や楚々とした容姿を備えている。おまけに凛とした立ち振る舞いや物言いまで大和撫子そのものなのだが、好奇心の強さを象徴するような大きな瞳だけが唯一そのイメージを裏切っている。
 昨年の騒動の始まりのほとんどは、千反田の「わたし、気になります!」の一言だった。その度に俺は、不本意ながら騒動を解決する探偵の役を任せられた。つまるところ、千反田は俺の省エネ主義を揺るがす存在なのだ。今日とて、何事もなくバイトが終わればいいのだが。
「おはよう。待たせてしまって悪かったな」
 俺も挨拶を返し、それから楠木の扉を開いて店の中へ入った。
 さて、店内は如何にもというような洒落たカフェのそれだった。やや古風なこの商店街にはあまり似つかわしくないかもしれない。
 とはいえ、普段通りカフェとして営業をしていれば人入りもいいだろうに、どうしてかき氷屋など……という疑問もなくはなかったが、きっと深い事情があるに違いない。
「やあやあ、よく来てくれたね。助かるよ」
 俺たちを出迎えたのは、人がよさそうな痩せぎすの男だった。店内に客の姿は見当たらない。売れ行きが悪いのか、はたまた食べ歩き客が多いのか。後者であることを切に願う。
 男は大石幸之助と名乗った。伊原の親戚で、この店のオーナーを務めているらしい。
 挨拶もそこそこに、大石は腕時計をちらりと確認して言った。
「まだ少しだけ時間がある。どうだい、仕事の前にかき氷を一杯ずつ食べていくといいよ」
 案内されたカウンターの上には、業務用のかき氷器とポリエチレン製の半透明な容器が並んでいた。それぞれに色の付いた液体が満たされており、それがシロップであることは一目瞭然だった。
 気になるシロップの種類は、
「イチゴ、レモン、メロン、宇治金時、それからブルーハワイですね」
 カウンターの前でしゃがんで目線の高さを合わせた千反田が、容器にマジックペンで手書きされた文字を一つ一つ丁寧に読み上げた。
「なんだか、妥当なところで固めてきた感じよね」
「確かに、どれも定番という気がします」
 千反田が大真面目な顔で頷く。確かに面白みに欠ける顔ぶれだとは思うが、所詮夏祭りなのだし変に凝った味を出す必要もないだろう。
「あまりゆっくりしている時間もないし、さっさと味を決めちゃいましょ。わたしはイチゴかな。やっぱり」
 伊原はイチゴか。シロップのラインナップに苦言を呈した割に、一番の定番どころを選んだな。
「そうですね……。それではわたしは宇治金時にします」
 伊原に続いて、千反田もシロップの容器に手を伸ばす。そう言えばこいつ、冬頃にも抹茶牛乳とやらに凝っていた記憶がある。カフェインが苦手なくせに、抹茶など大丈夫なのだろうか。
「じゃあ僕はブルーハワイで」
 続いて里志が、青い液体で満ちた容器を手に取った。残すは俺だけだ。ここまで全員、味を被せずにきている。その流れに合わせるなら、俺が選ぶべきはレモンかメロンのどちらかだ。
「…………」
 俺は黙ってメロンシロップの満ちた容器を手に取った。
 メロンは高級なフルーツという印象があるが、レモンはそうでもないような気がしたのだ。
 使い捨ての皿をそれぞれ手に取り、かき氷器の真下に置く。業務用なので手でハンドルを回すというような作業は必要なく、スイッチ一つでガリガリと氷が削られていく。便利ではあるが、祭りだという気分にならないのが玉に瑕か。
 四人ともシロップをかけ終え、四人掛けのテーブル席に腰を下ろした。普段喫茶店なだけあって、かき氷を食べるには不釣り合いなくらい綺麗なテーブルだった。
「いただきます」
 プラスチックのスプーンで氷山の頂上付近を削り、口へ運ぶ。すると氷の冷たさとシロップの甘さが口内に広がった。いつも思うのだが、メロン味のシロップはどうしてこうも甘味が強いのだろうか。まるで砂糖水を飲んでいるような感覚に陥る。いや、まったく間違いではないのだが。
 しかし、夏場に食べるかき氷はやはり美味い。思いの外スプーンが進み、氷山は徐々に小さくなっていく。
「〜〜〜〜〜〜!」
 と、突然声にならない声を聞いて、俺は向かいに座る千反田を見やった。見れば千反田は両手で頭を押さえているではないか。かき氷を食べて頭を押さえるやつ、初めて見たぞ。
「ちーちゃん、ゆっくりで大丈夫だからね」
 そして伊原よ、お前は千反田の保護者か。
「あ、ちーちゃん、ベロが少し緑色になってる」
「本当ですか? ……そういえば摩耶花さんも舌が赤色になっていますね」
「いや、それは元からだろう」
 千反田は頬を少し染めて、「そうでしたね」と言った。それから俺のほうを向いて、「あっ」と顔を綻ばせる。
「折木さんの舌も緑色になっていますよ。お揃いですね」
 そりゃ同じ緑色のシロップだったからな。そしてさっきから千反田の保護者もとい伊原の視線が刺さる。痛い。
 それから全員の視線が里志の方を向いた。いや、やつの舌の色に興味など微塵もないのだが、この流れならば里志が話にオチを付けてくれるだろうと期待したのだ。
 里志が得意げに青色のベロを出したのを見て、伊原が「そういえば福ちゃん、前々から気になっていたんだけど」と前置きして聞いた。
「結局ブルーハワイってなんなの? 味もよく分からないし、そもそもどうして青いのよ」
 その問いに、里志は待っていましたとばかりにスプーンを置いた。雑学をひけらかす機会が舞い込んできたのがそんなに嬉しいのか、目が輝いている。
「ああ、それ、わたしも気になります!」
 ……もう一人目を輝かせているやつがいた。
「よくぞ訊いてくれたね、摩耶花、千反田さん」
 里志はごほん、とわざとらしい咳払いをする。
「まずブルーハワイという名称の語源だけどね、これはお酒の一種なんだ。より詳しく言うと、ラムをベースにしたカクテルさ。ハワイで考案された青い飲み物、だからブルーハワイ」
 ふむ。まあその辺りは俺でも察しが付く。
「じゃあなんで青いのかというと、これはカクテルの材料として使用するブルーキュラソーによる着色の影響なんだ。ちなみにこのキュラソーはみかんの皮と糖分から作られているよ」
「みかんの皮から作られているのに、青色になるのか」
 俺がそう言うと、里志は良い質問だ、とばかりに指を振った。
「キュラソーにもいろんな種類があって、そのベースになるのが無色透明のホワイトキュラソーと橙色のオレンジキュラソーなのさ。ブルーキュラソーはホワイトキュラソーに合成着色料を加えたものだから、いわゆる派生って言えば分かるかな」
 なるほど、ブルーキュラソーは無色透明のホワイトキュラソーに色付けをしただけというわけか。
「それじゃあ福ちゃん、着色をしただけってことは、ホワイトキュラソーとブルーキュラソーで味に変わりはないってこと?」
「うん、基本的には同じ味だよ。じゃあどうして青色がチョイスされたかと言うと、ハワイと海と空の色を飲み物で表現したかったから、とされるのが一般見解だ」
「色については分かったけど、それじゃあブルーハワイはラム味……ううん、みかんの皮味ってわけ?」
 かき氷のシロップでオレンジ味は滅多に見ないのに、オレンジの皮のほうはメジャーになっていたとは。これでは果実の立場がないじゃないか。皮肉な話だ。
 そう考えていると、里志は首を横に振った。
「ははは、まさか。着色にはブルーキュラソーを使うけど、味自体はラムネ味とかソーダ味が主流だよ。より正確な言い方をすれば、ミックスジュースフレーバーって言うんだけど、これがまた製造元によって味が異なるのが面白いところでね。例えばこのシロップは、そうだねえ、ソーダに近い味なのかな」
 俺は拍子抜けするのを感じた。あれだけ長ったらしい説明をしておきながら、結局ソーダ味とは。
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