5

「さっきまで、こんなものはあったかい?」
 里志の問いに、俺と伊原は肩を竦めた。確かに先ほどここには来たが、圧力鍋があったかどうかなんて覚えているはずがない……ところなのだが、古典部には記憶力抜群なやつが一人いた。
 今回も千反田が持ち前の記憶力を発揮した。
「この鍋があるところには、布が被せられていましたよ」
「ということは、この圧力鍋は以前からあったということか」
 今、四人全員が物置に集まっていた。かき氷を売るどころの話ではない。店は一旦閉じ、緊急の会議を開いていた。一刻も早く大石さんへ連絡をしたいところだが、いくら携帯電話に電話しても繋がらない。大事な話の最中か、そうでなければ移動中なのだろう。
 キッチンタイマーのデジタル表記は十四分三十秒を映している。時限爆弾が本物ならば、四時半に爆発する仕組みだ。のんびり大石さんの帰りを待っている時間はない。
「圧力鍋で爆弾が作れるっていうのは知ってたけど、まさか本物を見るとは思わなかった」
 伊原が泣きそうな声で言う。心中はお察しする。まさか知り合いの店で、時限爆弾を見ることになるとは、夢にも思うまい。
「里志、圧力鍋の爆弾というのはそう簡単に作れるものなのか?」
 俺の問いに、里志は真剣に考え込んだ。
「うーん……作り方さえ知っていれば、案外難しくはないよ。ほら、春先にも、テレビで圧力鍋の爆弾の作り方特集をやっていたじゃないか。インターネットを参考にすると、こんなに簡単に圧力鍋の爆弾が作れるんですよ。インターネットって危険! ってね。自分たちが爆弾づくりを実演しておきながらだよ? ミイラ取りがミイラどころの話じゃないね。もっとも、あれを一回見た程度で圧力鍋の爆弾の作り方なんて分かるはずはないけど」
「他の媒体、例えば本で調べたりとかは?」
「無理無理。そういうのは規制が入るからね。テレビだって好き放題やっているけど、グレーゾーンさ。実際、クレームが山ほど入ったらしいし」
「それじゃあ、犯人は?ブラウザ?を見て圧力鍋の爆弾の作り方を学んだわけですね?」
 千反田も真剣な目をして言う。流石にこういう状況では、「気になります!」は炸裂しないようだ。
「これが本物の場合、その可能性が高いな」
 俺は澄まし顔でそう言った。嘘は吐いていない。嘘は。
「とにかく、話していても仕方がないよ。早くここから――」
 俺は手を挙げて里志の言葉を制した。里志は、どうしたんだいという目で俺を見た。
 こういうのは柄じゃないが、しかし気になることがある。
「里志。伊原と千反田を連れて先に外に避難しろ。俺はもう少しだけここにいる」
 すると案の定、三者から咎められた。
「ホータロー、まさか逃げる手間さえ省エネしちゃうようになっちゃったのかい?」
「折木、あんた怪我じゃ済まないわよ! 今回ばかりは事件の解決なんて任せられないわ」
「折木さん、いいですから早く逃げましょう!」
 けれど、俺は今ここから動くわけにはいかなかった。
「別に己惚れているわけでも、自分を過信しているわけでもないさ。ただ少しだけ、気になることがあるんだ。それに、時限爆弾が起爆するのを何もせずに放っておくわけにもいかないだろう。打てる手だけでも、打っておきたい」
「ホータロー……でも」
「里志、先に行ってくれ。二人になにかあってはならないだろう」
 里志はしばらく迷っていたが、やがてシリアスな顔でうなずいた。里志とて分かっているのだ。里志の恋人である伊原も、豪農千反田家の一人娘である千反田も、決して危険な目には遭わせてはならないことを。そして二人は、引っ張りでもしなければ、自分達だけこの場を離れたりしないことも。
「分かった、ホータロー。けれどくれぐれも無茶はしないで。圧力鍋を変に弄っちゃダメだ。蓋も、なるべく開けないほうがいい。誤爆する可能性があるから」
「分かった」
「今回の件に関して、僕たちには何の責任もない。ただのバイトだからね。解決できそうになかったら、ホータローも逃げるんだよ」
「そうよ、あんたに何かあったら困るんだから。とりあえず警察には連絡しておくから」
「分かってる。とりあえず出来る限りはやってみる」
 里志と伊原は俺が残ることを渋々ながらも認めたようだ。しかし、千反田だけは未だ納得していない様子だった。
「折木さん……」
 千反田は俯いていた。声は、震えていた。
「わたしも、一緒に残ります。折木さん一人だけに危険な目に遭わせるわけには、いきません」
 千反田がそう言ってくれることは嬉しかった。嬉しかったが、あるいはだからこそ、千反田をこの場に残すわけにはいかない。
「駄目だ」
「でも!」
「千反田。お前は言っていただろう。千反田家の一人娘として、この地を支えていくんだと。変えていくんだと。お前の身体は、こんなところで傷付いていい身体じゃない。お前だけの身体じゃない。そうだろう?」
 そう、千反田の両肩には、途轍もなく重いものが乗っかっている。一つの土地の未来が掛かっている。
 何もない俺とは違う。
「でも、折木さん。折木さんに何かあったら、わたしだって」
 顔を上げた千反田の瞳に、きらめくものがあった。俺は敢えてそれを見ないように顔を背ける。
「大丈夫だ。本当に危ないと思ったら、俺だって逃げる。怪我をしたいわけじゃないからな。ただ少しだけ、考えたいことがあるんだ」
 しばらく、沈黙があった。それから千反田は諦めたように目じりを拭い、少しだけ笑った。
「折木さんって時々、本当にどうしようもない時がありますよね」
「だろうな。自分でもそう思う」
 千反田の言葉に俺もぎこちなく笑った。
「わたし、信じていますから」
「ああ」
「必ず、ご無事で」
「もちろん」
 そうして、里志と伊原と千反田は、物置を後にした。
 一人残された空間で俺は、大きく息を吐いた。
 さて。

   6

 そういう経緯を辿って、今に至る。
俺は閉じていた目を開いた。実を言えば、犯人は誰か、もう分かっていた。確証があるわけではないが、十中八九そうであるはずだ。だからこそ、俺はここに残る選択をした。
 残り時間は四分。時間はあまりない。とにかく、切断する色を決めなければならない。
 改めて配色を見る。赤、青、黄、緑、深緑……。
「なんか、妙じゃないか?」
 どうして、緑のコードだけ実質二本あるのだろうか。
 そしてなぜ、他のどれでもなく、緑なのだろうか。
 五本。赤。青。黄。緑が二つ。爆弾。犯人が好きなモノ。
「そうか……」
 ぼんやりと、浮かび上がってきた。答えは、ちゃんと今日の中に隠れていたのだ。
 爆弾は、あの色だった。
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