7

 四本のコードは何事もなく切断された。キッチンタイマーのカウントは残り二十秒で止まり、俺はほっと胸を撫で下ろす。それから圧力鍋を工具でこじ開けると、案の定、中に鍵が入っていた。
 鈍色のそれを手に取り、すっくと立ち上がる。
 さて、決着と行こうじゃないか。
 俺は裏庭に続く扉の施錠を解いて、一息に開いた。途端、視界に広がる裏庭と空の風景。裏庭には、朱色の絵の具を塗りたくったような夕暮れを背景に、一本の木が生えていた。
 そして、その木の太い枝に腰を下ろして、大石幸二は本を読んでいた。
「まずは聞かせて下さいよ。どうやって正解のコードを導き出したのかを」
 俺が裏庭に足を踏み入れたのと同時に、幸二は静かに本を閉じた。そして木から降りると、物哀しげな目で俺を見た。
 俺は答えに至った経緯を語りだした。そうしなければならなかった。そのために、幸二はすべてを仕組んだのだから。
「まずは誰があの時限爆弾を設置したのかを考える必要があった。犯人の正体を知り得なければ、解決する糸口すら見つからないからな。幸いなことに、選択肢は最初から絞られていた。オーナーの大石さんか、お前か、あるいは第三者」
「それって結局、まったく絞れていないじゃないですか」
 幸二がわざとらしいほど軽い口調でそう言ったが、俺はそれを無視して続ける。
「まず着眼したのは、犯人は圧力鍋をいつ固定したのか、だった。あの鍋を作業台に固定するためにボルトが用いられているが、あれは人力で固定できるようなものじゃない。かと言って電動ドライバーを使おうものなら、その音は相当響くはずだ。仮に今日固定されたとしたら、暇だった俺たちが気付かないはずがない。よって、あの圧力鍋は以前からあそこに固定されていた可能性が高いと踏んだ。そうなると、犯人はこの店の住人に絞られる。第三者が住人に気付かれずに圧力鍋を固定してそのまま帰り、今日再びやってきてこっそり時限爆弾を起動させるなんて真似、できるはずがないからな」
 幸二の反応はない。俺は続ける。
「大石家の誰かだと分かったあとに考えたのは、犯人はどうしてこんなことをしたのか、という点だった。保険金か何かを取ろうといる可能性も考えたが、それなら挑戦状めいたメモを置く必要はない。これまで通り、布を被せておけばよかったんだ。そうすれば、誰も気づかないまま爆発していたからな。だが、そうはしなかった。少なくとも実利を求めての行動ではなかったということだ」
「そこから先は、さぞかし簡単だったでしょう?」
 そう、簡単だった。考える必要すらなかった。幸二は俺たちに、自らヒントを与えてくれていたのだから。
「そこで俺はお前の発言を思い出した。『踏ん切りはもう付いていますから』。千反田に宥められたとき、お前は確かにこう言った。だが、『踏ん切り』というのは決心するときに出る言葉だ。お前はあのとき、こう言うべきだったんだ。『諦めはもう付いていますから』とな」
 だが、それは語句の誤用ではなかった。
「お前は以前に、下町祭りの件を父親から聞いていた。そして、自分も手伝わせてくれないかと頼んでいたが、断られた。そこでお前は視点を変えたんだろう。何か別の方法で、この下町祭りに一枚噛みたいと。まさかとは思ったが、退屈しのぎにスリルを求めるなんていうのはよくある話だ。お前は梶井基次郎の小説を読んでいた。『檸檬』から爆弾置き去りの着想を得ていてもおかしくない」
『檸檬』では主人公が檸檬を爆弾に見立てて店に置き去りにし、それが爆発する様を妄想してはカタルシスを得ていた。幸二はそこから着想を得たのだ。
「圧力鍋の爆弾の作り方は、インターネットでもなければ見つからないらしい。"ブラウザ"や"青空文庫"さえ知らなかったお前に圧力鍋の爆弾なんて調べられるはずがない。だからあの爆弾は偽物なんじゃないか、と俺は考えた。そう、あの『檸檬』の爆弾のように」
 だからこそ、俺は一人残る選択をした。あの爆弾が百パーセント本物であったなら、俺も危険を冒してまで残ろうとはしなかっただろう。
「だが、万が一ということもある。俺は皆を避難させ、アタリのコードがどれか考えることにした。どうだ、ここまでは合っているか?」
 幸二はほうぅっと息を吐いた。
「特別、訂正する部分はないですね。そうだなあ、付け加えて言うなら、僕、折木先輩には感謝しているんですよ」
「謎を解いたからか?」
「いえ、それもそうなんですけど。もっと前の段階で、です。折木先輩が僕の文庫本に興味を示さなかったら、僕は皆さんにヒントを与えることが難しくなったでしょう」
 俺は頷いた。
「そうだな。そのヒントは、謎を解く上で必要不可欠なものだった。……五本のコードを見て、真っ先に疑問に思ったのは、配色だった。赤、青、黄、緑と来るのはいい。だが、なぜ最後の一本が深緑なんだ? 緑だけ実質二本あるのはバランスが悪いと言わざるを得ない。色のバリエーションが足りなかったわけでもないだろう。コードの色としては割とメジャーな白や黒も使われてなかったしな。となれば、この配色にも意味があるということになる」
 そして思い出したのは、俺たちの舌の色だった。里志と伊原はそれぞれ青と赤色だが、千反田と俺の舌だけは、同じ緑色に染まっていた。
「そう、時限爆弾のコードの配色と、かき氷のシロップの配色と同じだったんだ」
 そして、残さなければならないコードは。
「そこまできたら、貴方ならあっという間だったでしょうね」
「ああ。そこで再び戻ってくるんだ。筒井基次郎の『檸檬』に。お前の中で、爆弾と言えばレモンだった。そしてそのレモンの色は黄色。起爆に繋がるコードは、黄色の配線だった」
 下町祭りに執着していた幸二は、当日手伝いに来る高校生たちが、古典部なるものに所属しているということを知る。古典部という名称に偽りがないのであれば、その部員たちはきっと古典小説に覚えがあるはずだ、と幸二は推測したのだろう。だからこそ、『檸檬』の謎かけを出した。そしてそれを解かせるため、俺たちに梶井基次郎を意識させておく必要があった。
梶井基次郎の話題。それこそが最大のヒントだった。
 幸二はフェアなゲームに拘ったのだ。
 そして実際、黄色以外の配線は切っても何も起きなかった。
 黄色のコードを切っていた場合、起爆ではないにせよ何かが起きていたに違いない。そうでなければ、幸二がわざわざ鍵を盗み、スペアキーを用意まで裏庭で待機した意味がない。
「お見事ですよ、折木先輩。もしも黄色の配線が切られていれば、キッチンタイマーが甲高く鳴るはずだったんですけどねえ。聞けずじまいになってしまいました。でも……」
 それまで飄々としていた幸二が、少しだけ声を詰まらせた。
「でもどうして。そこまで分かっていたのに、付き合ってくれたんですか?」
 歳こそ二歳しか違わないが、それでも俺たちくらいの年代にとってそれは大きな違いだ。中学生は若い、と思う。時にはとんでもない過ちさえ起こしてしまうほどに。
 だからこそ、俺はその過ちを、最後まで遂げさせてやりたかったのだ。中途半端な結果に終わって、中途半端に明日に進んでほしくなかった。
「まあ、受験期の辛さっていうのも少しは分かるからな。ちょっとばかしストレス解消に付き合ってやるかと思ったんだ。だが、あんな大袈裟な仕掛けは二度とするな」
 千反田や里志、伊原には余計な心配を掛けてしまった。後できちんと謝らなければならないだろうな。
 遠くでパトカーのサイレンが響いて、俺たちは同時に肩を落とした。暮れなずむ空が、ヒグラシの鳴き声が、肌を掠める生温かい風が、妙に寂しさを演出する、そんな一幕。
 いやまったく、頭の痛くなる事件だった。

   8

 結局警察の方にはこってりと絞られた。まあ、その場での厳重注意で済んだのは幸運だった。
 当然のことながら帰ってきた大石さんにも連絡が行き、幸二は青い顔をしていた。俺たちに対しては、妙なことに捲き込んでしまってすまないと頭を下げられたが、こちらこそかき氷売りを完遂できなくて申し訳ない気分だった。それでも謝礼は支払われ、俺たちのかき氷売りのバイトは幕を下ろした。
 さて、そろそろ帰るとするか。そう思っていると、里志がシニカルな笑みを浮かべた。
「ホータロー。まさかもう帰ろうだなんて考えちゃいないよね?」
「いや、帰るだろ。それともまだ、何かあるのか?」
「まあ、もう少し待っていなよ」
 そう言えば、先刻から千反田と伊原の姿が見えないような……と思っていると、二階から二人が降りてきた。
 二人とも、見事な浴衣を着ている。伊原が朱色で、千反田が藍色。鮮やかできれいだ。でもどうして、浴衣なんて?
 いや、そうか。今日は下町祭りだったか。
 ……なんだか嫌な予感がする。

 そして嫌な予感は的中した。
 どうやら他の三人は既に、「バイトが終わったら祭りを楽しむ」という計画を立てていたらしい。
「あらかじめ言っておいたら、面倒くさがってホータロー、来なくなると思ってね」
 ……まあ、違いはないが。
 そして気付けば、俺たちは連れ立って商店街の往来に立っていた。しかも、
「ホータロー。千反田さんをしっかりエスコートするんだよ!」
「ちーちゃん、そいつに何かされそうになったらすぐ大声を上げなきゃ駄目だからね!」
 自分たちが付き合っているからと、二手に分かれようと言い出す始末。好き勝手言いおって、バカップルめ。
 一方の千反田は、視線をあちらこちらに向けていた。今にも、「わたし、どの出店も気になります!」と叫び出しそうだ。
「向こうに綿菓子屋さんがありますね。あ、あちらには金魚すくいが! 出目金がとても可愛いです。あ、あそこで型抜き屋さんやっています。折木さん、わたしこう見えて型抜きがけっこう得意なんですよ」
 その大きな目を輝かせて、千反田は微笑む。どういうわけか、その目を向けられると俺は視線を逸らしてしまう。
「今日はたくさんまわりましょうね」
 ……ああ、どうやら今日のバイト代は今日のうちになくなってしまいそうだ。
 それから千反田は背伸びをして、俺にそっと耳打ちした。
「……それと、あとで時限爆弾のコードの件、どうやって解決したのか、詳しく教えてください」
 そう言えば、幸二が犯人だったとは伝えたが、謎解きに関しては話していなかったか。それにしても、抜け目のないやつめ。
「さあ、折木さん。行きましょう」
 催促するように腕を引っ張られて、千反田と俺は雑踏の中を駆けだした。
 子どものようにはしゃぐ千反田の横顔を見て思う。
――まあ、偶にはこういうのも悪くないかもしれないな、と。

前へ 戻る
inserted by FC2 system