イヤホンジャックにぶっ刺して



イヤホンジャックにぶっ刺して

「あー、テス、テス。あれ、これ聞こえてんのかな?」
 俺は鉄塔の天辺に仁王立ちして、イヤホンマイクに向かって囁き続けていた。鉄塔の高さはおよそ二百メートル。無骨な鉄塔を命綱もなしによじ登るのはなかなかに恐ろしい経験だったが、降りる時はその比じゃないだろうな。考えただけで背筋が凍る。
 高度二百メートルからの景色は、何というか殺風景だった。三百六十度、どこを見渡しても荒涼とした荒野、荒野、荒野。人っ子一人どころか、草の根さえ見えやしない。いやまあ、こんな高いところからなら見えなくて当たり前なんだけどさ。
 ま、逆に言えば、ここなら誰にも邪魔されずに済むってわけよ。
「えー、テス、テス。誰か聞こえてませんかー? 聞こえていたら返事してくださーい!」
 そんでもって俺は、イヤホンに備え付けられた小さなマイクスピーカーに向かって力一杯語り掛けている。傍から見たら頭イってるやつだな。付近に人がいなくてよかった。
 何の応答もなかったので、俺はしゃがんで傍らに置いてある発信機のボタンやらチューナーやらを弄ってみる。おかしいな、これがあれば大体は事足りるって話だったんだが……。
 いやもしかしたら、『大体』から省かれた残りの『小体』の部分に重要なものがあったんじゃねえか……?
 そう考えるとそれ以外にない気がしてきた。ついでに段々苛々してくる。あの胡散臭いジャンク屋は二度と御贔屓にしてやんねー。あの糞爺、老眼鏡逆さまに掛けてんじゃねえよバーカ。
 焦燥と苛立ちが募り、それからこの鉄塔まで赴いたことが完全に無駄足だったことを認めたくなくて、更に言えばこれからこの鉄塔を荷物抱えながら降りることを考えると憂鬱になってきて、俺は八つ当たりするようにありったけの声でマイクに向かい叫んだ。
「さっさと返事しろやクソヤロウ共!」
 叫び声は虚空に響く。あ、よく考えたら返事されても俺には何も聞こえねえ仕組みだったわ。
 一瞬の静寂。吹きすさぶ風。そして。
「うるっせえんだよ、聞こえてるっつーの、死ねコラ!」
 不意に背後からハスキーな声がして、直後背中に鋭い衝撃を受けた。
「おうっ……!?」
 俺は思い切り前のめりに倒れ込む。まだ前方にスペースがあったから良かったものの、あと一歩間違えていたら二百メートル真っ逆さまだった。
「お、おい、冗談じゃない。下手すりゃ死ぬぞ!」
 俺は見えぬ悪意に向かって声を荒げる。
「だから死ねっつってんですけど? 意味理解できないの馬鹿なの?」
「テメェ……」
 頬を引き攣らせながらよろよろと立ち上がり振り返る。そこに立っていたのは十七か十八くらいの歳の少女だった。それも全身を銀色のサイバースーツで着飾るという奇怪な恰好で。風にそよぐ銀髪が綺麗だった。耳にはメタリックブルーのイヤホンを装着している。
「テメェ、いつから其処に居た?」
「今しがただよ。アンタの不快な声がイヤホンから流れ出すもんだから、止めさせようとすっ飛んできた」
「これからいいところなんだ。邪魔すんなら帰れ。けぇれ、けぇれ」
「うっさいんだよ、アンタ。せっかくボクが録音した『High-Under:Ground』の新曲を聴こうと思ってたのにさ」
 少女は本気で苛立っているようで、右脚を軽く上げた。蹴るつもりだ。
「まあ待て、落ち着け。話せば分かる」
「じゃあまずどうやって僕のイヤホンに声を流し込んでいるのか答えろ」
 やつの右脚が威嚇するようにゆらゆら揺れる。こえぇ。
「俺はさ、イヤホンをジャックすることが出来るわけよ」
 そう、俺には驚くことに不思議な力が備わっている。それが、あらゆるイヤホンをジャックするという能力なのだ。マイクを使ってジャックしたイヤホンに音を流すことができる。それも広範囲のイヤホンを同時にだって可能だ。
「はた迷惑な力だね」
「悪かったな。でも、事情があるんだ。頼む、聞いてくれないか」
 俺が真剣な顔をしてそう言うと、少女はふんと鼻を鳴らした。
「まあ、いいけど」
「助かる。ええと……」
「僕のことはメロディとお呼びよ」
「ああ、メロディ。少しでいいんだ、聞いてくれ」
 俺はゆっくりと語りだした。
 これは後になって分かったことだが、俺の語った内容は全てイヤホンマイクに吸われて世界中のイヤホンへと放送してしまっていたらしい。



 昔の俺は――つっても今から数年前の話なんだが――能力を使って他人のイヤホンをジャックするのが趣味だった。ジャックするって言っても、今やってることとは真逆で、イヤホンの音を盗み聞きするって感じかな。
 それで付いたあだ名が「イヤホンジャック」だった。
 メロディも知っていると思うが、荒廃したこの世界じゃ、音源って言うのは本当に希少なものだった。一昔前ならインターネットやCDショップで大量に入手できた音楽も、インターネット及び文明の崩壊と、長きに渡るミュージックプレイヤーを巡る争いによって全て霧散したんだ。
 残った僅かなミュージックプレイヤーを所持する者たちは大事にそれを抱え続けた。そして自分だけの音楽に没頭するわけ。誰かと共有しようなんて思わないんだ。揃いも揃って独り占めしようとする。そして自前のミュージックプレイヤーを持っていない俺はそいつらのイヤホンをジャックする。
 俺はあらゆる音楽が聴きたくて、世界中を旅して回った。ジャックできるのは、半径百メートルくらいの空間にあるイヤホンだけだった。後になって、電波の力を借りればもっと広範囲から、それも複数のイヤホンをジャックできるってことを知るわけだけど、この時はまだ足を使ってジャックをしに行っていた。
 どれだけのイヤホンをジャックしたかな。俺が特に好きだったのはメタルとか、ロックとか、そこら辺だったかな。何て言ったって熱いんだ。こういう曲を聴いてるやつのイヤホンをジャック出来た時は、思わずガッツポーズをするほどだった。
 音楽を聴く方法は他にもあった。偶にだが、街角で生演奏をするバンドが居たりするんだよな。メロディ、お前の好きなロックバンド『High-Under:Ground』もそうだろ?
 俺もよくライヴの情報を聞いては、現場に駆け付けたものだよ。録音機能のあるミュージックプレイヤーを持ってるやつらは目敏く録音してたな。そういえば、お前もそうだって言ってたっけか。いや、いいんだ別に。
 文明が崩壊しちまっても、人々は音楽を求めて已まねえ。それだけ聞くと何だか、感動的な話だよな。でもよ、ミュージックプレイヤーを持たねえやつらは音楽を好きな時に聴けねえんだ。持つ者と持たざる者、その差が争いに繋がるんだぜ。悲しいことだよ。
 ある時、いつものように俺はイヤホンをジャックした。ほんの片田舎だったな。羊がメェメェ鳴いていて、のどかだったのを覚えてる。
 ジャックしたイヤホンから流れ出た曲を聴いて、俺は目を見開いたよ。
 それは俺の好きなメタルとかロックからかけ離れた、静かな曲だった。曲つっても、演奏は弾き語りだったし、ノイズ塗れで音質は最低だった。それでもな、俺はその音楽を聴いて、固まっちまったんだ。
 ……曲が終わって、イヤホンが何も吐き出さなくなった後も、その曲は耳から離れなかった。
 俺は茫然自失としたまま、――これが最大の過ちだった――その田舎を後にした。怖くなったんだ、あまりにも俺の心の奥底に響くその曲が。
 だが、数日経っても、数週間経っても、数ヶ月経ってもその歌が俺の耳から離れることはなかった。
 その時だったよ、俺が能力は他人のイヤホンを盗み聞きするだけじゃなく、音を送ることもできるんだって気付いたのは。
 俺は片田舎の場所は分からなくなってしまっていたけど、世界中を駆け巡りながら、片っ端からイヤホンをジャックして、薄れた記憶を頼りにあの曲を歌って、詳細を聞いて回った。
 数ヶ月経ったある日のことだった。一人の男が俺を訪ねてきた。そいつは俺にこう言ったんだ。
「それは今は亡き私の恋人の歌です。彼女の曲を皆に聴かせてやってくれて、ありがとうございました」
 そう言って笑った。
 俺と男は何時間も話し込んだ。男は年季の入ったレコーダーを持っていた。その古いレコーダーには、亡き恋人の唄が一曲だけ保存されていた。男は言った。
「彼女が亡くなってしまった今、私にとってこれだけが唯一の宝なんです。だけれども、私がこれを抱えてしまっていいのだろうか、と常々思うのです。この歌を、出来るだけ多くの人に聴かせてやれるなら、その方が彼女も幸せなのではないか、と」
 男は言いました。
「世の中には音楽が不足しています。不足しているがゆえに、争いも起きている。貴方の力が必要だ。どうか、一つ頼まれてはくれないだろうか」

 それからの俺達の行動は迅速だった。まず各地に大量に余っているイヤホンの在庫を丸ごと引き取った。ミュージックプレイヤーの供給がない今、イヤホンは無用の長物だった。なのでタダ同然で引き取れた。
 それからイヤホンを各地で配り始めた。もちろん宣伝も欠かさない。
「直にイヤホンジャックのラジオが始まるぜ。耳穴かっぽじって、イヤホンを装着して待っているんだな」
 それから男のアドバイスで俺は世界中のイヤホンをジャックするために能力を増強するらしい発信機を購入した。あとは電波を発する鉄塔の上に構えて、準備は完了。今に至るってわけ。




「じゃあこれから、ラジオを始めるってわけかい」
 メロディは下らないなと言うようにくっくと笑った。でもどこか楽しそうにも見えた。
「そうだ」
 俺が答えると、メロディは懐から何かを取り出した。
「じゃあ僕のプレイヤーを貸すからさ、『High-Under:Ground』の新曲も後で流してくれよ」
「分かった」
 俺はニヤッと笑って、息を吸い込んだ。
 荒廃とした荒野が地平線まで続いているが、空は青く澄み切っている。青空ラジオ局開設に相応しい天気だ。
 さあ、ラジオが始まる。
 俺はマイクスピーカーを口元に近づけて高らかに叫んだ。
「長々とお待たせしました! 初めましてイヤホンジャックラジオです。パーソナリティはR.N.カリカリで……」
「あ、あと僕も! メロディも!」
 横でメロディがケラケラと笑う。くそ、してやられた。
「……不本意ながら以上の二人でお送りします!」
 恐らく世界中で聴かれているだろうこのラジオ。
「音楽に飢えているであろう全国の紳士淑女の皆さん方」
 年代物のレコーダーをポケットから取り出して、宙ぶらりんのイヤホンジャックにぶっ刺した。
「耳をかっぽじってよく聴きな」
 再生ボタンに手を伸ばし――。
「曲目は、恋人の鎮魂歌――!」



・twitterネームからからラジオをする話を。
・鉄塔が似合いそうだった。
・メロディみたいなハイテンション娘と気が合いそう。
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