クオリアの再生

『クオリアの再生』

 私にはある習慣がありました。一言でそれを言い表すのはとても難しいのですが、強いて言うならば「クオリアの再生」でしょうか。
 私が以前、この世界に一握りでも希望を抱いていた頃、この習慣についてクラスメイトに話したことがあります。今となっては記憶が古びたテープのように掠れてしまってあやふやですが、もしかするとそのクラスメイトに理解を求めたのかも知れません。あるいは、同志となるように求めたのかも知れません。
 結論から言えば、そのクラスメイトは期待外れでした。美術部に入っているとかで、多少は覚えがあるかと思いましたが、全く駄目でした。まあ現実はこんなものでしょう。それから暫く、文学部や吹奏楽部、それから合唱部の人間にも声を掛けてみましたが、全員理解できないみたいでした。それどころか腹が立つことに、私を変人か奇人を見るような目で見てきたのです。
 それ以来私は、私とそれ以外の全てが、どこまでも果てしなく断絶していることを悟りました。まあ元々「クオリアの再生」をするには私さえ居れば事足りたので、そもそも周囲の理解や協力など必要なかったのでしょう。
 さて、この世界には有形風景が有り触れています。私はもちろん、ありとあらゆる人の中にもそれは沢山インプットされていることでしょう。
 今まで見てきた光景は、そのほとんどが思い出すことも叶いません。ですけれど、それは塵のように私の内側に積もって、溜まって、私をかたどる一部になっているのもまた事実なのです。
 無菌室のように白く彩られた部屋で、私は銀色の鍵盤を弾きました。指先が踊るたびに音が鳴り響きます。一つではただの音に過ぎませんが、それが連続していくと音楽になります。私はこの、音が音楽に変わる瞬間が好きでした。
「正解なんてないはずだから」
 私の指先が命を吹き込む風と成る。その瞬間に、クオリアの風景は再生されます。私の内面に渦巻く景色の断片が、やがて一つの風景を創り上げていくのです。
 真っ白い部屋を大量の絵の具で塗りたくるように、風景は刻一刻と移り変わって、ですが私はその中に確かな一枚の風景を見ました。
 私は鍵盤を弾く手を止めると、傍らに積んであった紙の束から綺麗な紙を一枚引っ張り出して、それを床の上に広げました。
 それから部屋の隅っこにある棚の中から、鉛筆やらボールペンやら絵の具やら筆やら何やら、様々な筆記具や画材を引っ張り出すと、床に寝転がって絵を描き始めます。
 頭の中にある風景を絵にするのは、「クオリアの再生」の作業の中でも一番の得手でした。
 絵が完成する頃には、私の纏っていた白衣は絵の具に塗れて散々な有様になっていました。ですが、いつものことなので気にしません。完成した絵を満足げに眺めて、それから次の作業に移りました。
 この世界には有象無象が溢れています。あるいは私もその一人なのかも知れませんが、少なくともこの部屋で錆びついた弦をかき鳴らす瞬間だけは、自分がとても崇高な存在であるような気がしてなりません。
 ちょっとだけ絵の具に塗れた白い部屋で、私は錆びついた弦をかき鳴らしました。先ほど奏でた鍵盤のメロディを記憶で追いながら、私は一生懸命ギターを弾きます。弦は錆びついていますが、問題はありません。他の人からすれば大問題なのでしょうけど、私からすれば然したることじゃないんです。
「間違いなんてないはずだから」
 私の唄声が命を吹き込む水と成る。クオリアの風景はやがて言葉となって、私の音と重なります。私は浮かんできた言葉を一つ一つ拾い上げながら、それを唄いました。
 少しおどけたようなギターの音と、私の高く澄んだ音が部屋に響きます。メロディと歌詞はまるで初めから一つであったかのようにピタリと嵌りました。
 どれほど弾き語りをしたでしょうか。ようやく私の歌は完成しました。擦り切れたテープで録音もばっちりです。
 私はよろよろと立ち上がり、絵を拾い上げてテープを再生しました。
「――、――――、――、――――――、――」
「ああ……」
 気が付けば瞳から大粒の雨が流れて、それは先ほど私が描いた絵に、二滴の青い雫を描きました。

 そうして完成した音と歌と詩とジャケットに、私は『クオリアの再生』と題をつけました。
 私に多くの風景を与えてくれたあの人のクオリアのように、私のクオリアもまた誰かの風景になればいいなと祈りながら。
・唯一読んだ小説「箱」のように心の内面をモチーフに。
・クオリアとラストは某Pから。
・創作に熱心な感じを出したかった。
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