白い少女と神様
ウェル

※この物語には如何なる宗教的主張も意図されておりません

 中世ヨーロッパ末期のお話です。その当時はまだ魔法だの、魔術だのが信じられていた時代で、魔法を悪用すると云われる魔女を狩る、『魔女狩り』が流行っていました。
 もちろん、魔女など存在しませんから、すべては言い掛かりに過ぎませんでした。ですが、魔女の恐怖に怯えた人々は、『魔女認定』された哀れな者たちを、片っ端から処刑していきました。
 大人や老人の魔女は、すぐに火刑にされました。古来より、魔女は火に弱いといわれていたからです。
 十字架に磔にして、魔女が泣き叫びながら燃えていくのを街の皆が囲って眺めていました。
 そう、それは恐ろしい、悪夢のような時代。
 きっと、『魔女』とは人の心に巣食った猜疑心のことを言うのでしょうけど、そのことに気付く者はほとんど居らず、居たとしても、口にしてしまえば魔女認定されてしまうと考え、何も言えませんでした。
 これからするのは、そんな恐ろしい時代の犠牲になった一人の少女と、それを嘆く神様の物語。

     ◇    ◇    ◇

 北欧の、海と山に囲まれた中規模の商業都市。冬の寒さが身に沁みるこの町でも、やはり魔女狩りはおこなわれていました。
 さて、先ほど、大人や老人の魔女はすぐに処刑されてしまうと言いましたが、そんな彼女たちの娘たちも、また魔女の血を継ぐ者だからという理由で、捕えられました。
 年端もいかぬ少女たちを殺してしまうのは流石に忍びなかったのか、彼女たちは刑に処せられることはなく、その代わりに虜囚となりました。
 そうして彼女たちは町の中心にある教会の地下牢に拘束されました。
地下牢には、十人近い少女が捕らえられています。それぞれ、独房の壁に吊るされた二本の吊り手枷に拘束され、薄く粗悪な布切れを体に巻いて暗鬱になるような寒さを堪えていました。食事も日に一皿分の水と、パン切れが与えられる程度で、全員が衰弱しきっていました。そんな彼女らに、救いの手を差し伸べようとする者も中にはいましたが、その者達も下手に動くとやはり『魔女認定』されてしまうのでどうにも動けずにいました。
 そんな環境に、少女クキュはいました。彼女の父親は、クキュが五歳のときに戦争で亡くなり、生計を立てるため、調合した薬草で商いをしていた母親はその二年後に魔女認定を受けました。
 人々の病を治すために薬草を調合していたのに、それを魔術だと疑われたのです。何と皮肉な事でしょうか。母親は殺され、当時七歳だったクキュは地下牢に連行されて、それから六年が経過していました。彼女はもう人生の半分近くを、この薄暗い地下牢で生きていることになります。
「人間って言うのは、どうしてかくも愚かなのだろうなぁ」
 神様は嘆きます。人間を創ったのはいいものの、人間は余りに愚かでした。ありもしない魔術や魔女に怯え、このような残虐行為を行うのですから、人間というのはどうしようもない生き物です。
 なまじ知能を持ってしまったからでしょうか。神様が人間に知能を与えたからこうなってしまったのでしょうか。神様がいくら頭を悩ませても、その答えが出ることはありませんでした。
 神様は全知でも全能でもありません。そんな不完全な神様だからこそ、誰よりも強いやさしさを持っていました。
 神は人々の心から生まれます。人を幸せにする神もいれば、また人を不幸にする神もいます。
 一部の聖職者たちは民を意のままに動かすために、神をでっちあげていました。自分たちにとって不利益となる存在を魔女に仕立て上げ、処刑するために。当然それを神様は快くは思っていませんでした。
 神様は思うのです。人を不幸にする神は、それは神失格だろう、と。そんなものは、悪魔とでも名乗ればいいのだ、と。
「それにしても、あの子、クキュという娘は不思議な子だなぁ」
 神様はよく人間界を観察していましたが、最近は教会の地下にいる少女に関心がいっていました。
 何故ならば、クキュは毎日祈るのです。
「どこかに神様が居られるのでしたら、どうかお救い下さい」と。
 祈りは、毎日星の数ほど届きますが、ほとんどは私利私欲にまみれた祈りで、神様はそれらをすべて聞き流していました。
 それだのに、クキュの祈りは違うのです。クキュの祈りは、心は、真っ白なのです。純白なのです。
 クキュは確かに神に対して助けを要求しているのに、それなのにクキュからは一切の私利私欲の情を感じませんでした。それは確かな矛盾でした。
 神様とて、人間の深層心理までは読めません。神様はただ創り、管理するだけです。あまり介入すると、世界の法則が乱れてしまうので、普段は眺めるだけです。
 ただ、少女クキュの矛盾の答を知りたいと神様は思いました。

     ◇    ◇    ◇

 神様は自ら直接、教会の地下牢に出向くことにしました。もちろん、クキュ以外にその存在を認知される事はありません。
 教会の地下は、暗くてじめじめしていました。人間からすれば、骨身に沁みるような寒さなのでしょう。
それから、看守等は一切いませんでした。クキュは独房にいるので、会話をしても他の子達に気づかれる事はないでしょう。これならば、何もせずとも怪しまれずにクキュと対話ができます。
「やぁ、こんにちは。クキュ」
 神様は白いタキシード姿でクキュの前に姿を現しました。これは、神様が人間界に降りるとき用に用意したものです。また神様は賢く、優しそうな面影をしていました。
 それに対して少女クキュは、壁にもたれかかるようにぐったりしていました。頭は項垂れており、顔を上げることさえ辛いようでした。誰の目から見ても明らかなくらい、彼女は衰弱しきっていました。
 それから数秒かけてようやく正面を向いたクキュの身体はあまりに傷つき、薄汚れていましたが、それでも白を想像させるくらいに綺麗でした。
「……貴方は、誰ですか」
 暗闇にずっと居たせいでしょう、クキュの視力はかなり落ちていました。どうやら人影を認知するのが精一杯なようです。
「僕かい? 僕は神様だよ」
 神様は努めて快活に言いました。
「君はあまりに無惨な仕打ちを受けているからね。どれ、願いを一つだけ、叶えてあげようと思って来たんだよ」
 神様は優しく微笑みました。これは偽善なんかではありません。偽善であれば、神様はわざわざこんな場所には来ません。
 神様は、心優しいのです。クキュを何とか助けたいと思っていたのでした。
「助けて……」
 クキュが囁くようにそう言ったのを聞いて、神様は安心したように目を瞑りました。こんな酷い環境に生きて、助けを乞うことは正当な権利なのだから。
「よし、分かっ……」
 神様がそう言おうとしたときでした。
「……助けて、あげてください。この世界で、一番……不幸な人を……助けてあげてください」
 よく視えないはずの瞳で、クキュは神様をじっと見つめました。その目は、淡い栗色をしていて。思わず魅入ってしまうような、吸い込まれるような深さがあって。
 さて、神様は少し困った様子です。
「君は、自分が助かりたいとは思わないのかな? 生きる希望を失ってしまったのかい?」
 神様は少し意地悪な質問をしてみました。そうしてでも、クキュに「私を助けて」と言って欲しかったのです。
「私は、自分より不幸な人がいる事が……たまらなく、苦痛なのです。自分は、ここで生きていけます。生きていれば、祈る事はできますから」
 これまた、クキュの返答は神様にとって意外だったようです。これほどまでに、純白で、他人を思い遣れる人間はいないでしょう。
 どうして、こんなにも美しい子が、魔女娘認定されなければならないのでしょう。
 そして、矛盾は解けました。
 クキュは最初から、他人を救ってあげて欲しいと祈っていたのです。ならば当然、クキュに私利私欲なんてないでしょう。ですが、神様は納得できません。
「それでは、世界で一番不幸なのがクキュ、君自身だとしたら、どうするかね?」
 実際、クキュの現状は世界で最低レベルでした。神様は嘘を吐いていないのです。
「私より、不幸な人がいないと知れただけで……私は幸せです。幸せならば、私は救われなくても、いいです」
 クキュはそう言って微笑みました。笑う機会など全然ないのでしょう。ぎこちない微笑みでしたが、それは神様の胸に届きました。
 神様は深いため息を吐きました。
「君の考えは分かったよ。でも、このままだと君は死んでしまうんだ。ここで君が死んでいくのを見るのは忍びない」
 救いを求められなくても、それでも神様は、どうにかして少女を救いたい、と思いました。自分が世界に干渉することによって、多少世界の法則が乱れようと、この少女を救いたい。神様はそう思ったのです。
「……死んだら、どうなるんですか?」
 クキュは、素朴な疑問を口にしました。それは人間にとっては永遠の疑問なのですが、神様はすぐに答えました。
「死んだら何もないよ。全て消えるんだ。消えてそれでお終いさ」
 それを聞いて、クキュはその清廉な顔を歪めました。
「それじゃあ、不幸な人達はいったい何の為に生を授かったのでしょう……」
 クキュは、神様の向こうにある、向かいの独房のほうを見つめて、静かに涙を流しました。
「……あの独房には、6歳の女の子がいるんです。でも……体が弱くて、もう死んでしまいそうなんです」
 神様は無言でした。
 この世界には、あまりに救われぬ者が溢れているのです。そして、善を尽くして死んでいった者も、悪事を働いて死んでいった者も、行き先は平等な無なのです。
 平等は不平等です。不平等こそが、真の平等なのです。
(分かった。全てを救う方法が。これならば現世の法則が乱れるような介入をしなくて済むし、クキュも納得してくれるに違いない……)
 そう、神様はとある案を思いついたのです。そしてその案の要はクキュでした。神様は、クキュに語りかけます。
「君は、人の幸せが、自分の幸せと言ったね?」
 数瞬の沈黙の後に、クキュは小さく頷きました。手枷が微かに揺れて、カタカタと音を鳴らします。
「……はい」
「僕はね、君をこんなところから救い出したいんだ。でも、ここから救ったとしても君は幸せにはならないんだろうね……」
 そうだ。こんなにも心優しい少女が、例え自分だけ助かったとしても、それを是とするはずがないだろう。神様はそう考えます。
 そしてクキュの返答は実際その通りのものでした。
「私は、救われても多分ここに戻ってきます。不幸な子達を救う為に、戦う為に」
 神様はその答えを想定していたのか、二度三度頷きます。
「ならば、それは根本的な解決にはならないね。……ねぇ、僕はね、クキュ。君に仕事をしてほしいんだ」
「……仕事、ですか」
 クキュは目をパチクリさせました。クキュにとっての仕事というのは、母の手伝いで薬草を作ることでした。人を、幸せにするために。病から救うために。なので、働くということは誰かを救うことだ、とクキュは思っていました。
「そう。天の使い……天使という仕事だよ。僕が天国を作るから、クキュは、善い人や、不幸なまま死んでしまった者たちを天国へ連れて行ってやってくれないか」
 神様は話し続けます。クキュは、これは大切なお話なんだと思いました。だから一言も聞き逃すまいと思って、耳を傍立てて神様の話を聞きました。
「僕の力では、あまりに多すぎる不幸者たちは救えない。だから、せめて死後だけでも、永遠に幸せに暮らして欲しいと思ってね」
 神様は真剣な眼差しで、クキュを見ました。クキュもまた、そんな神様の目を見つめ返しました。
「やってくれるかい?」
 クキュは一瞬だけ思慮しましたが、答は決まっていたようです。
「やります……ううん、私にできるなら、やらせてください」
 神様は満足そうに微笑むと、姿を消しました。

    ◇    ◇    ◇

 神様はその日から、大忙しになりました。
 神様はまず、天国を創りました。永遠の幸せを実現するために、持てる力を惜しまず使いました。
 そして、次に地獄を創りました。神様は許せなかったのです。罪のないクキュらを傷つける一方で、自分たちは何一つ不自由のない暮らしをする傲慢な人間たちが。
 そして、それから神様はクキュの他にも、心が清純で美しい者を探しに行きました。
 きっとたくさんいる事でしょう。
――人間は、思ったほど悪くないかも知れない。
 神様はそう思うようになりました。
 なぜって、クキュのような、心の美しい少女がいたのですから。
    ◇    ◇    ◇

 その日の晩、クキュは死にました。
 死ぬ時、クキュは幸せでした。死んで、天使になって、皆を救えるのですから。
 それゆえ、クキュの死に顔は、笑顔だったそうです。
 そして白い少女クキュは、天使となって末永く幸せに、人々を幸せにしていきました。
                                 FIN
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