Toy Box
Toy Box
ウェル
その日、私は家に一人きりでした。外は雨がさめざめと降っていて、一歩でも外に足を踏み出そうものなら、深い闇のような雨に呑み込まれてしまいそうでした。
だので、このレンガ造りの家がとても頼もしく、また温かいように思えました。だって、私を守ってくれているのですもの。
それゆえに、私は家に一人きりという状況でも全くへっちゃらでした。むしろ普段より勇んで、家の中を探検してみようとさえ思ったのです。
とは言え自分の家ですから、行ったことのない場所なんてそうありません。あるとすればそれはただ一か所、階段裏の物置くらいでしょうか。パパとママはよく、「埃がたくさんあって、吸うと身体に悪いから入っては駄目よ」と言いました。でも、今日はパパもママもいません。二人とも遠くの病院にいるのです。そして昨夜、私の弟が生まれたらしいのです。私は良いお姉ちゃんになれるでしょうか。不安です。怖いです。でも早く会いたいなとも思っています。そうしたら、優しくぎゅうううっと抱きしめてあげて、おやつも分けてあげて、ワガママもたくさん聞いてあげようと思っています。どうでしょう。私は、良いお姉ちゃんになれるでしょうか?
さて、私は階段裏にやってきました。廊下は明かりが点いていますが、静かすぎて少し不気味です。階段裏はきっととても暗くて、心臓の音が聞こえてしまうくらい静かなのでしょう。ですが、怖くありません。なぜなら、私はお姉ちゃんだからです。
木製の扉を開けると、その中は真っ暗で、何もないみたいに見えました。
埃もたくさん舞っていますが、私は口と鼻を手のひらで抑えたのできっと平気です。私は埃なんて吸いません。だって私は良い子で一人お留守番をしているとパパとママに約束したのですから。
埃を吸う子は悪い子ですが、私は一切吸っていませんから良い子です。
闇に慣れた目には、物置の中がありありと浮かび上がります。私が想像していた物置と違い、ほとんど何も置いてありませんでした。ただ、真ん中に箱が一つ置いてあるだけなのです。私が入れそうなほど大きく、また頑丈そうなその箱は、絵本の挿絵に描かれている宝箱のようだったので、私の気持ちは一気に高揚しました。気分は勇者様です。
この宝箱には、いったい何が入っているのでしょうか。もしかしたら、金貨がいっぱいあるかもしれません。きれいなお洋服かもしれません。不老不死の薬かもしれません。夢はどこまでも広がります。私はわくわくしながら箱の蓋に手を掛けました。ギチリ、と妙な音がして、箱の蓋と下部の間に隙間が生まれました。そして、その隙間からにょきりと、真っ黒い手がはみ出たのです。
私は「わあっ!」と小さく悲鳴を上げて、しりもちを突きました。
箱の中身はとんでもなく恐ろしいものだったに違いない、と思いました。だからパパもママも、物置には近づくんじゃないと言ったんだ。私は悪い子です。言いつけを破り、物置の箱を開けてしまいました。後悔しても、もう遅い。箱は自力で少しずつ開き始め、隙間から無数の手が伸びました。私は思わず目を瞑ります。
……しかし、いつまで経っても何も起こりません。私は恐る恐る目を開きました。すると、なんということでしょう。私をぐるりと取り囲むように、たくさんのおもちゃが床に並んでいたのです。
ブリキの兵隊たちは塗装が剥げているし、真っ黒いクマのぬいぐるみは綿がはみ出ています、ぜんまいねずみは螺子が外れ、木製のお馬さんは足が一本足りません。とにかく皆ちぐはぐな格好です。けれど、彼らは言いました。
「僕らと一緒に遊ぼうよ」
私は悩みました。でも結局好奇心が勝って、私は頷きました。
すると、スズの妖精が部屋中を飛び回り、きらきら光る虹色の粉を振り撒いていきました。そうしたら不思議なことに、物置はお姫様の寝室のように大きく、また華美になりました。そしておもちゃたちは私と等身大になっていました。
赤い絨毯の上をブリキの兵隊たちが列を成して闊歩し、クマのぬいぐるみは他のぬいぐるみたちとお茶会を開いています。ぜんまいねずみはハムスターたちとお喋りをし、木馬は高らかに歌を歌い、スズの妖精は空中で舞踏を踊りました。
私もいつの間にか現れたハーモニカを吹いて、部屋中を駆け回りました。そうしていると、木馬に乗った銀色に輝く王子様がやってきて、私に手を差し出しました。
「僕たちはおもちゃなのに、長い間閉じ込められて退屈していたんだ。今宵はカーニバルさ。君も共に、一夜限りの夢を楽しんではくれないか?」
私は黙って、そっと彼の手を取りました。そして優雅にスターダンスを踊ります。たくさんのおもちゃたちも踊ります。皆で歌います。皆、嬉しそうに笑いかけてくれます。
キラキラリ、ラリルリラ、キラキラルリラ。
嗚呼、こんなに楽しい夜が、今までにあったでしょうか!
私は素敵な銀の王子様に向かって言いました。
「私、いつまでもこうしていたい気分だわ」
すると、銀の王子は笑いました。
「大丈夫さ。もうずっと、夜は明けない」
「えっ?」
不意に、パーン! と甲高くシンバルの音がして、おもちゃたちは水を打ったように踊りを止めました。皆、鋭い目つきで私のことを見ていました。
銀の王子の顔は醜く歪んでいき、銀の塗装はぱりぱりと音を立てて割れていきます。そして錆だらけの全身が露わになりました。
「僕たちは、朽ち果てて捨てられたおもちゃたちだ。君もまた、そうなるのさ」
私は「きゃあああっ!」と叫んで、錆の王子から逃げ出そうとしました。けれど、彼の錆びついてザラザラした手は私の手を掴んで放しません。
そうしている間に、豪華だったはずの部屋は暗い箱の中に変わっていきました。そう、ここは初めから、箱の中だったのです。
おもちゃが大きくなったのではなく、私がスズの妖精の魔法によって、おもちゃサイズにされてしまっていたのです。
気が付けば、私の両手は、ぬいぐるみの手になっていました。
おもちゃたちは野太い声で言いました。
「君ももう、僕らの仲間だよ。もう放さないよ」
箱は静かに閉じられ、私の視界は闇と、その中を蠢く壊れたおもちゃたちで埋め尽くされました。
そして、遠くの彼方で、玄関の扉の開く音が聞こえました。
パパとママが弟を連れて帰ってきたのです。
でも、私は悪い子だったから、お姉ちゃんにはなれなかった。抱きしめてあげることもできなかった。おやつも分けてあげられなかった。ワガママも聞いてあげられなかった。
「けれど、いつか必ず、遊んであげるからね」
いつの日か、此の壊れたおもちゃ箱の中で、たっぷりと……。
FIN