ジャッジメント・エヴィデンス

 独りの盗賊と、独りの剣士の物語。

 夕闇に紛れて、血塗られた紅いマントのような?なにか?が蠢いているのを、幼いながらただただ全神経で感じ取った。
 掠れ声で嗤うように、あるいはすすり泣くように、?首のないそれ?はゆらり、ゆらり、とその体躯を揺らして、近づいて来る。
 吹き荒れる砂は、予兆だろうか。大よそ、招かれざる者の訪れに嘆きを露にしているのだろう。
 悲しきかな、嘆かれるは私達の未来だろうか。

 モザイクのように灰黒色な視界。その元凶とも言える異形の主は、懐から長く鋭い影を引き抜き、その切っ先を私達に向けて突き出した。
 赤黒く変色したその剣の、剣格には煌々と輝くルビーがはめ込まれている。
 その美しさに、暫し魅了された周りの大人達は瞬く間に切り裂かれ、胴と首が離れた。
 私は怖くて、逃げるようにがむしゃらに駆けた。

 周りの景色なんて全く分かる状況ではなく、幾度となく転びそうになりながら、しかし転んでしまえば一瞬のうちに首を刈り取られてしまいそうで、必死に四肢を動かして道なき道を走り抜ける。
 そうして家族を捨て、故郷を捨て、走ること数十分、ようやく私は首なしから逃げ遂せる事が出来たのだ。
 返り血を浴びてその色に染まった紅きデュラハン。今でも稀に夢に見る、あいつの邪気を纏った甲冑姿。それは、約十年も立つ今でも、色濃く心に傷を残していた。

――ギルンデルク王国
――――黄土色の町

 埃を纏った薄汚い路地裏は日の差さない裏世界のようで、私はどうやらそんな道を走っていた。
 徒に積み上げられたゴミの山のその横を駆け抜ける。入り組んだ路地裏は、人を撒くには最適な場所だ。
 私を追いかける複数の足音も、角を曲がれば少しは遠くなるけど、真っ直ぐ走っているとまた少しずつ迫ってくる。
 家屋から流れ出た水が、水溜りを作っていた。その水面に私の姿が映りこむ。
 濃い目の橙色の髪の毛は全体的にショートヘアだが、右上を結んで小さくサイドテールにしている。
 動きやすい格好になるよう心掛けているので、古く柔くなった、薄手のコートを身に着けている。ベージュ色なので、あまり目立たなくていい。代わりに汚れは目立つのが難点だが。
 色んなところにポケットが付いていて便利な一品だった。
 下は黒いショートパンツなので、こちらも運動するのに快適だ。細くしなやかな脚で水溜りをひとっ飛びする。
 真っ赤な空き缶を蹴っ飛ばして、積み重なった木箱を飛び越えて、光の差す方へ。
 もっと速く、もっと先へ。

 どれだけ速く走っても、どれだけ連続して角を曲がっても奴らを撒けないのは、きっとこいつのせいだ。
 がしっと強く踏みつけた舗装すらされていない土の地面が、足跡を残して進路を追っ手に知らせてしまっている。
 通りの喧騒が私の耳に届いて、ようやく出口が近い事を悟った。
 頭上に張り巡らされた洗濯物の影を踏み越えて、ほんの少しだけ足を緩める。
 腰に付けた短剣が、走るリズムに伴ってカチャカチャと耳障りな音を立てる。
 これも悩みの種で、軽装を心掛けている私には重さだってバカにならないけど、この子は生命線だ。これがなければ、この世界は生きていけない。大体こんな世界どうかしている。武装していなければ生きていけない世界なんて、どうかしているに決まっている。
 ナイフより耳障りな物もベルトに吊るしてあるから、今は気にしない方がいいかな。
 下水道の漏れ出した腐水が鼻に衝いて、こんな日陰一刻も早く出ようと思う。
 ま、物理的に出たところで、精神的に出る事は出来ないんだけど……。
 ゴミが山積みにされた角を曲がると、その先に見えた大通り。
「ビンゴ!」
 軽く笑うと、ラストスパートを掛けた。大通りに出てしまえば、この追いかけっこもお仕舞いだ。人ごみの中で、奴らがシーフである私を見つけられるとは思えない。短剣捌きと、撒き術には長けているつもりだ。
 振り返ると奴らもちょうど角を曲がってきたところで、私は頭だけ振り向いて、笑みを浮かべながらべーっと舌出すと雑踏の中に消えていった。

――――

「痛っ……」
 暗がりの中、何か大きいものとぶつかって、私は思わず後方に倒れ込んでしまった。しりもちをついた状態で顔を上げる。
「おいおい、危ないなぁ。お嬢ちゃん?」
 嘲笑といったところだろうか。下衆な笑みを浮かべた親方が、アジトに帰着した私の目の前で腕組して立っている。

 町外れに今では使われなくなった地下牢がある。土と石ばかりの町に対して、この地下牢は鉄の錆付いた臭いが蔓延っている。
 この地下牢が、私が所属する盗賊グループのアジトだ。グループは二十人強で構成されているが、この牢屋はその倍の倍は収容できるくらい広い。薄暗い地下牢は壁に設置してあるたいまつで照らされており、目の前くらいは見えるけどやっぱり数が足りない。
 私が普段寝床にしている最奥の独房などは特にそうだ。駆け足で歩けばすぐ誰かとぶつかってしまうほど、視界が悪い。
 そうなると、一味の中で最年少で尚且つ唯一の女である私は立場的に厄介な事になるので、気をつけているのだが……。
 今現在、こんな奥まったところで親方と衝突してしまっている。まずい。非常にまずい。
 しかし、多分というか絶対親方はわざとぶつかってきたのだと思う。
 何故なら、親方は普段一番広い、入り口付近の牢獄で過ごしているのだから。
 今親方が仁王立ちしているこの場所の先を寝床として使用しているのはグループの中でも私しか居ない。
 この先だってまだまだ寝床に使える場所はあるにはあるが、大抵人骨などに占拠されていて、誰も近寄ろうとしない。だからこそ、私はこんな奥まった場所を選んだのだ。
 その証拠に、こんな深部に親方が来る事なんて今まで一度も無かった。
 では何故親方が普段いるはずもないところで仁王立ちしているのかと言うと、いつも憂さ晴らしの種を探しているのだから、今回もきっとそうに違いない。ここのところ不況だから仕方ないのかも知れないけど。
「んで、何か収穫は?」
 彼は何かあるなら寄越せと言わんばかりに一歩距離を詰めてくる。
 二メートル近くもある体躯が、巨人のように感じられた。
「……これ」
 ベルトから引っ剥がして差し出したのは、手のひらサイズの巾着袋だ。中には金貨がタンマリ入っている。
「ほーお」
 親方はニンマリと笑った。
 彼は年齢だってもう三十は超えているはずなのに、相変わらず単純な思考の持ち主だ。大柄な体格に、背中に吊るした大剣。まるでトロールみたいに思えてならない。
 確かに大規模戦闘になった時、彼ほど頼りになりそうな人は他にいないけど、私たちは盗賊だ。
 基本的には隠密に行動している。大規模戦闘なんてそうそうない。つまり、端的に言えば彼は役立たずだ。ここでふんぞり返っているだけ。
 彼が何で生計を立てているのかというと、私たちが持ち帰ったお宝だ。
 分け前は持ち主と親方で二:一。
 普通に考えれば三分の一も分け前を取られるので損だが、それでも皆が親方に着いていっているのには理由がある。
 それは、彼が町の自警団と裏の繋がりがあるという一点に限る。
 どうやら稼いだ金の一部を自警団に渡す事で、丸め込んだらしい。賄賂というやつだろうか。だから、自警団はここには攻めてこない。一応、彼らは町では真っ当に職務を果たしているが、盗賊の本拠地を攻めるという至極当たり前な手段には出ないのだ。
 故に、私たちは安全な拠点を得るために親方に着いていっている。ついでにご機嫌取りも。
 腐敗した世界だと思う。自警団が盗賊と繋がるなんて。だからと言って自警団を攻める気にもならない。そもそも盗賊として盗みを働いているのは私たちなのだから。

「お嬢ちゃんにしては頑張ったな。んじゃこれ、頂くわ」
 親方は私から巾着袋を丸々ひったくると、そのまま踵を返した。
「ま、待って!」
 思わず親方に向けて手を伸ばした。
 栄養失調気味で、色白な腕。小枝のような指。泥だらけの手のひら。
「あ?」親方は怪訝そうに、顔だけ振り返る。
「私の分け前は……」
「ハッ! ぶつかってきた罰だ。それにお嬢ちゃんには金なんて要らないだろ? どうしても分けてほしいんだったら、身体でも売るんだな」
 ガッハッハ、と化け物のような笑い声。
「そんなっ……」
伸ばした手は力なく下がる。ここでは親方が絶対の存在で、理不尽が当然の世界で、私には反抗する事さえ許されない。
俯く私に、目を細める親方。
「んだよ。俺様がわりぃみたいじゃねえか。生意気だな」
 不意に飛んできた蹴りが左頬に直撃して、私は半回転しながら無様に倒れこんだ。
瞼の裏で火花が散って、一瞬視界が真っ白になる。短剣が腰を離れてどこかへ滑っていく。数瞬後カランと、金属が鉄格子にぶつかる音がした。埃と、血の匂い。鉄の味が口の中に広がる。

「ケッ」
 遠のく足音。
衝撃を受けた頭が平衡感覚を失ったように渦を巻き、立ち上がる事すらままならない。多分、頬も腫れ上がっていると思う。
あんなウスノロにいいようにされて、悔しくて、涙が止まらなかった。
頬を伝った二筋の透明の線は、やがて床に到達して血と混ざり合う。
汚れた床にうずくまって、日が差し込まないこの場所で、寒さから身を守るように背中を丸めた。

――――

 そのまま眠ってしまったのだろう。
 私は暗闇の中を浮いていた。
 水、水の中を漂っているみたいで、意識は宙を舞う。
 あらゆる負を溶かした海の中、漂う。ゆらり、ゆらり。
 こんな薄汚れた不潔な場所で、私は何で泣いているのかな。
 なんで私は盗みなんて働いてまで生きているのかな。
「これがお前の望んだ事か?」
 違う、違う。決して、こんな事を望んだりはしていない。
「盗みを働き、時には人を殺めた。それを望んだのは、自分自身だろう」
 私は、ただ生きるために仕方なかった。そうしなければ、自分が死んでいた。今はただ、そういう世界だった。
「生きていて、楽しいか?」
「無様に転がって、泣いているくせに」
 楽しくなんか……ない。
 小さい頃から物乞いをしていたお陰か所為か、いつしか仮面のような笑顔を浮かべるのが癖になってしまった。
 仮面の下で、泣いていた。
「だったらなんで生きる? いっそ楽になっちまえよ」
 死ぬのは怖いから。
「散々人を殺しておいて、か? お前なんか、死んでしまえばいいのに」
 声にならない声が、形にならない姿が、見えもしない色が、歪む。
 歪んで、取り囲んで、責め立てる。それぞれの罵倒で。それぞれの文句で。幾つもの影に囲まれて、私は頭を抱えてしゃがみこんだ。

――嫌だ、来るな。
嫌だ、来るな。――
――――――――

 暗闇の中で、私は静かに覚醒した。いやな夢だった。いや、夢だったかどうかさえ定かではないけど……。
 遠くで、笑い声が聞こえる。男衆の、下品な笑い声だ。きっとお酒でも盗んできて、回し飲みしているのだろう。いつもの事だった。
 瞼を開ける事さえ億劫で、いっそこのまま死んでしまえればいいのに。恐怖を抱く間もなく、気付かない合間に。
 四歳の時に故郷である集落を首なしに襲われ家族や知り合いは全員死に、気がついたら路地裏で乞食として生きていた。
 その頃既に世界には暗雲が立ち込めていたものの今と比べれば比較的平和で、善人振りたい人たちがよく餌を与えてくれた。
 心は酷く冷めているのに、屈託のない笑顔でお礼を言った。そうする事で、気を良くした彼らはまた明日も餌を持ってきてくれる。

 程なくして暗黒時代が訪れた。
 世界を悪人が支配するようになって、辺境のこの国はまだ王制統治が続いていたけど、不況になった。
 餌を持ってきてくれる人は日毎に減って、三日に一回の食事という時期もあった。
 七歳になると、自然と生きる知恵を付け始めた。生き残るためには手段を選べない。空き巣を狙っては、強盗を繰り返した。必要なら、殺人だって平気でした。殺した人数は二桁を軽く超える。ひとつの町に留まり続ける事はなかった。いつか足が着くからだ。

 幾つかの町を転々し、十一歳になった頃、この町に辿り着いた。
 溢れかえる市場。
 裕福そうな市民。
 強欲に笑う商人。
 この国の中でも、二、三番目に大きい町らしかった。そんなお宝の山に、私はもう三年間住み着いている。

 今日も、町にやってきた裕福そうな移動商人の一団に目をつけて、
密かに盗みに入ったのだ。しかし、目のいい用心棒を雇っていたらしく、巾着袋をひとつ手に入れたところで見つかってしまった。
 慌てて逃げ出したが、多分顔は見られている。普段は顔を覚えられないように行動しているので、これは大失態とも言える。
 下手したら、町中に顔が割れてしまう。
 長年この町を拠点としてきた私が最も注意していた事は、隠密性だったのに。
 しかし、長い目で見れば取立てて問題のない事だ。
 移動商人たちはすぐに次の町へと移動する。再び戻ってくるまで半月は掛かる。
それだけあれば……。その間に、資金を集める事は可能だ。
もう、こんな穴倉は嫌だった。理不尽な暴力も、取立ても、窮屈な鳥篭も。
 どこか遠くの町に行く。出来るだけ大きな町がいい。そう、例えば、ギルンデルクの城下町……この国の首都。
そこで、新しく生きていくんだ。長い旅路になると思う。たくさんのお金が掛かるだろう。
そして、町に着いた後、生活を安定させるのにもお金が必要だ。買わなければいけないものはたくさんある。
 住処だって必要だ。必要とあらば、宿屋に泊まり続ける財力も要る。
 そのお金だけ、盗むんだ。それで最後にするんだ。

 身勝手だって分かってる。
 盗賊の私が、いまさら真っ当に生きていくなんて。
「……許して」
 ポツリ、声にならないような声で呟いた瞬間、私を取り巻く環境は大きく揺らいだ。

――――

 地割れのような轟音が鳴り響いて、地震のように地下牢全体が大きく揺れた。それに伴い、親方とその取り巻きたちの怒声が聞こえる。
 何が起きたのだろう。気にならないわけではないが、起き上がる気力もない。ひたすらうずくまり続けた。

 次第に喧騒は大きくなっていく。そして、鉄と鉄がぶつかり合う音。
――多分、戦闘が始まった。

 本当なら私も参加しなきゃいけないんだろうけど、こっちには誰も来ない。
 甲高い声が聞こえる。
「お、おい……こいつ目茶苦茶つええぞ……」
「嘘だろ……? こっちは二十人いんだぞ?」
 劈く悲鳴。
 血の吹き出す音。血溜りの上を踊る人たち。ジャバジャバと音がする。

 二十人もいるのに、押されている? きっと、とっても強い人たちが大勢で来たんだ。
 悪事を働いていたから、皆殺されちゃうんだ。親方も、皆も、そして、私も……。

 死にたくなかった。戦うべきだった。今戦わなければ、友軍が全員死んでしまう。
 あんな奴ら仲間でも何でもないけど、戦力にはなる。戦力は集中させるのが定石だ。
 仲間がやられてから戦うよりも、共闘した方が良いに決まってる。
 それでも身体は動いてくれない。指の先一本まで、蝋のように固まって動かせない。
 次第に喧騒は小さくなっていく。きっと皆、死んでるんだ。
数秒置きに断末魔。堪り兼ねて、必死の思いで腕を動かした。
 そして、両耳を塞ぐ。塞ぐ寸前に、親方の声。
「お前……まさか、ジャ……」

 耳を塞いだからなのか、はたまた周りが静かになったからなのか。急に音が消え去った。ただ、気配だけを感じる。

 誰かが近づいてくる気配。ゆっくりゆっくり、躊躇もなく、迷わず真っ直ぐに向かってくるのが直感で分かった。見つからない事も期待したが、盗賊団のアジトである。隅々まで探索しない理由がなかった。
 つまるところ、私は絶対に見つかる。

 怖い。いやだ。殺さないで。ごめんなさい。仕方なかったんです。ああしなければ生きられなかった。私は悪くないよ。私は悪くないよね?
 このままここで死ぬのだろうか。だとしたら随分下らない最期だ。何のために生きてきたのかもあやふやになるくらい。
「最高に最悪な世界だったよ神様」そう心の中で呟いた。
 その言葉が神様に届いたか分からないまま、ついに気配はすぐ傍らまでやって来て、そして足を止めた。
「おい、大丈夫か?」
 その声は、とても泰然自若な感じで、でもどこか温かみのこもった色だった。それは、大人の男性の声のような気もするし、あどけなさの残る少年の声のようにも聞こえた。
 ただ、ひとつだけ分かるのは、この人がとても強い人という事。言葉ひとつ、声ひとつで分かる。
――この人、とんでもなく強い心を持っている。
 固い決意を秘めたような、しかしどこか憂いを帯びた、冷たい色の心。
 ゆっくり顔を上げた。蹴られた頬がズキズキ痛む。切った口の中も痛い。当分は食事の度思い知るだろう。
「酷い怪我だな……。何はともあれ命は無事で良かった。もう大丈夫だ、あいつらは全員、もう居なくなったから」
 居なくなった、言い換えれば皆殺しにしたという事だろう。
 私の前で屈んでいるその男は、真っ黒のコートに身を包んでいた。頭までフードですっぽり覆っているため、顔も見えない。端的に言えば、全身真っ黒だった。対照的に彼が右手に持つ大剣は純銀で、白く輝いている。

 辺りを見渡したが、彼の仲間は見当たらない。親方含む二十人を圧倒したのだから、相応の人数で来たはずだ。しかし、彼以外の姿はどこにもない。
 帰ったのだろうか。それとも、アジト内を探索しているのか。ここは見かけによらず広域なのだ。
「立てるか?」
 男が伸ばした左手に、私は一瞬躊躇して、それから掴まった。
 その手も黒いグローブが嵌めてあって、彼本来の温もりを感じる事は出来なかった。

――――

「俺も治癒魔法が使えれば良かったんだけどな……」
 治癒魔法のイメージだろうか。手のひらを開いたり閉じたりしているこの黒ずくめの男は、多分勘違いしている。
 私は盗賊の一味でシーフなのに、彼は私が盗賊に拉致されて来た可哀想な少女だと思っている。
 手荒にされなかったかとか聞いてきたし。
 ま、それも当然か、と思う。
 私はまだ十四歳だし、こんな子供が盗賊だなんて発想に思い至らなかったのだろう。幸か不幸か、武器である短剣は手元にないし。
 ……いや、考えられないはずはない。
 だってこのご時勢だし……。
 うーん、と一人首を捻った私に、彼は言った。
「俺はゼルス。あんたは?」
 相変わらずフードをすっぽり被ったままで、表情なんて見えやしない。
 顔も見えないのに、自己紹介ってそりゃないよ。
 この正体不明の男が何でか面白くて、くすっと笑うと、
「コノハって言います」そう名前を告げた。
 そして、一人の盗賊の少女と一人の剣士の青年は、互いの名前を胸に刻みつけた。

――――

 磨きこまれた透明の窓の外は朱色に染まっていた。遠く、雲が鳥たちと共に流れている。行き先は海の上か、はたまた広大な大地の上か。
 日暮れ時。流石に移動するのにも厳しい時間帯だったので、私はゼルスに連れられ町の宿に泊まる事にした。ちなみに私の立場は、盗賊に誘拐された少女のままである。
 流石に盗賊の身である故、隣の剣士よろしくフードですっぽり顔を覆って町を歩いた。
 宿屋の主人など、フード二人組の私たちを訝しげに眺めていたが、それ以上触れられなかったので幸いだ。
 触らぬ神に祟りなし、とぼやいていたが、気にしない方向でいこう。
 私の服装に関してはゼルスにも「あんまり人目に触れたくないんです」と言ったら納得してくれた。
 ナイフはきっちり回収してきた。何だかんだで幾つもの死線を共に潜り抜けてきた仲間だ。これが腰に収まっていないと安心出来なくなってしまった。
 ゼルスには護身用だと取り繕って置いたので不審がられてはいないようだ。

 なかなか高級な宿のようで、部屋は清掃が行き届いており、家具も上質であった。
 どこにこんなお金があるのだろう。私はこのゼルスという剣士が不思議で仕方なかった。
 まさか盗賊たちを一人で討ったわけではあるまい。
 彼の仲間たちが今どこで何をしているのかも気になるところだ。

 しかし、それよりも大事な事があって……。
 それはこのベッドだ。やたらもふもふしている。身体を預けた瞬間、すごい沈む。非常識なほど沈むし、反動で物凄く浮かび上がる。まるで綿をそのまま敷き詰めたような感覚。何年もずっと、硬い床に薄く藁を敷き詰めて寝ていた私にとって、これは革命のようであった。
「す、すごい!」
 驚くべく事に、シーツもふかふかしている。さらにフローラルな香りがするのも謎だ。花と一緒に日干ししているのだろうか。それとも、素材が花? この布の中に花を入れている?
 私のとっては、分からない事だらけだった。


「王属騎士を目指してる……?」
「そう。この町に来た理由もそれなんだが」
 私とゼルスは、部屋の中央に置かれた机を挟んで木製の椅子に座っていた。
 身体を動かすと、漆塗りのその椅子は軋んで音を立てる。
 ゼルスは懐から一枚の切れ端を取り出した。
 薄汚れた羊皮紙には、親方のモノクロ顔写真と、この場所の地図が描かれていた。
 その下には、『報酬:十万G+五P』。
 この宿に来る前に、ギルド支店に寄っていたので、既に?済?スタンプが押されている。
 報酬のお金のほうに関しては、何故か断っていた。お金に余裕があるのは分かるけど、貰えるものは貰っておくのが普通じゃないのかな……。
「この町のギルドに貼ってあった依頼書だ」
 依頼書。ギルドのボードに張り出される張り紙だ。この依頼書に書かれた依頼を達成する事で、報酬を得る事が出来る。
 依頼の内容は様々だが、主に魔物や悪人、悪人集団の討伐、護衛、特定魔法の行使、特定素材の収集が主流だ。

 私は、依頼書が出されていた事に驚きはしなかった。以前から貼り出されていたのは知っていたし、しかし何故今まで野放しにされていたかと言うと、私たちが単純に強かったからだ。人数も多い。この付近の戦士如きに徒党を組まれても簡単にやっつけられた筈なんだけど……。
 それはさて置き、私はその依頼書の中で一つだけ異質な点がある事に気付いた。
「あの……これはいったいなんですか?」
 報酬の欄を指差しながら問いかけた。
 普通報酬と言ったらお金だ。実際、この依頼書にも金額が記されている。
 しかし、それだけではなく、『五P』という謎の数字も記されているのだ。
「ああ、これが目当てなんだ。このPを百P分集める事で王属騎士へのパスとなる『正義の証』を手に入れられる」
「ほぉー、なるほど……って百P?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「だだだ、だって、おやか……じゃなくてここのボスほどの凄腕がたったの五Pぽっちって……」
 この国に親方以上の化け物が二十人以上いるとはとてもじゃないが思えなかった。
「いや、問題はない。こいつはあくまで前菜だから」
 机の上に置いた依頼書の、親方の顔写真を指でトントンと叩きながらゼルスは言った。
「前……菜……?」
「ここの分で、俺のPは三十まで溜まった訳だけど、これから七十Pの主食“メインディッシュ”を狩に行く。それでぴったり百Pだ」
 フードに隠れて分からないけど、確かに彼は不敵に笑った気がした。
 親方の三十五倍の化け物。私はそんなの絶対無理だと思った。
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